指紋押捺制度の合憲性
2020年05月16日(土)14:57
裁判年月日 平成 7年12月15日 裁判所名 最高裁第三小法廷 裁判区分 判決
事件番号 平2(あ)848号
事件名 外国人登録法違反被告事件
裁判結果 上告棄却
要旨 / 新判例体系
要旨 / 新判例体系
◆みだりに指紋の押なつを強制されない自由と憲法一三条
◆我が国に在留する外国人について指紋押なつ制度を定めた外国人登録法(昭和五七年法律第七五号による改正前のもの)一四条一項、一八条一項八号と憲法一三条
◆何人も個人の私生活上の自由の一つとしてみだりに指紋の押なつを強制されない自由を有し、国家機関が正当な理由もなく指紋の押なつを強制することは、憲法一三条の趣旨に反し許されない。
◆我が国に在留する外国人について指紋押なつ制度を定めた外国人登録法(昭和五七年法律第七五号による改正前のもの)一四条一項、一八条一項八号は、憲法一三条に違反しない。
◆我が国に在留する外国人について指紋押なつ制度を定めた外国人登録法(昭和五七年法律第七五号による改正前のもの)一四条一項、一八条一項八号と憲法一三条
◆何人も個人の私生活上の自由の一つとしてみだりに指紋の押なつを強制されない自由を有し、国家機関が正当な理由もなく指紋の押なつを強制することは、憲法一三条の趣旨に反し許されない。
◆我が国に在留する外国人について指紋押なつ制度を定めた外国人登録法(昭和五七年法律第七五号による改正前のもの)一四条一項、一八条一項八号は、憲法一三条に違反しない。
主 文
本件上告を棄却する。
本件上告を棄却する。
理 由
一 弁護人松下宜且、同原田紀敏、同熊野勝之の各上告趣意及び被告人本人の上告趣意のうち、憲法一三条違反をいう点について
所論は、我が国に在留する外国人について指紋押なつ制度を定めた外国人登録法(昭和五七年法律第七五号による改正前のもの。以下特に記載がない限り同じ)一四条一項、一八条一項八号は、みだりに指紋を採られない権利を保障する憲法一三条に違反すると主張する。
本件は、アメリカ合衆国国籍を有し現にハワイに在住する被告人が、昭和五六年一一月九日、当時来日し居住していた神戸市灘区において新規の外国人登録の申請をした際、外国人登録原票、登録証明書及び指紋原紙二葉に指紋の押なつをしなかったため、外国人登録法の右条項に該当するとして起訴された事案である。
指紋は、指先の紋様であり、それ自体では個人の私生活や人格、思想、信条、良心等個人の内心に関する情報となるものではないが、性質上万人不同性、終生不変性をもつので、採取された指紋の利用方法次第では個人の私生活あるいはプライバシーが侵害される危険性がある。このような意味で、指紋の押なつ制度は、国民の私生活上の自由と密接な関連をもつものと考えられる。
憲法一三条は、国民の私生活上の自由が国家権力の行使に対して保護されるべきことを規定していると解されるので、個人の私生活上の自由の一つとして、何人もみだりに指紋の押なつを強制されない自由を有するものというべきであり、国家機関が正当な理由もなく指紋の押なつを強制することは、同条の趣旨に反して許されず、また、右の自由の保障は我が国に在留する外国人にも等しく及ぶと解される(最高裁昭和四〇年(あ)第一一八七号同四四年一二月二四日大法廷判決・刑集二三巻一二号一六二五頁、最高裁昭和五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日大法廷判決・民集三二巻七号一二二三頁参照)。
しかしながら、右の自由も、国家権力の行使に対して無制限に保護されるものではなく、公共の福祉のため必要がある場合には相当の制限を受けることは、憲法一三条に定められているところである。
そこで、外国人登録法が定める在留外国人についての指紋押なつ制度についてみると、同制度は、昭和二七年に外国人登録法(同年法律第一二五号)が立法された際に、同法一条の「本邦に在留する外国人の登録を実施することによって外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もって在留外国人の公正な管理に資する」という目的を達成するため、戸籍制度のない外国人の人物特定につき最も確実な制度として制定されたもので、その立法目的には十分な合理性があり、かつ、必要性も肯定できるものである。また、その具体的な制度内容については、立法後累次の改正があり、立法当初二年ごとの切替え時に必要とされていた押なつ義務が、その後三年ごと、五年ごとと緩和され、昭和六二年法律第一〇二号によって原則として最初の一回のみとされ、また、昭和三三年法律第三号によって在留期間一年未満の者の押なつ義務が免除されたほか、平成四年法律第六六号によって永住者(出入国管理及び難民認定法別表第二上欄の永住者の在留資格をもつ者)及び特別永住者(日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法に定める特別永住者)につき押なつ制度が廃止されるなど社会の状況変化に応じた改正が行われているが、本件当時の制度内容は、押なつ義務が三年に一度で、押なつ対象指紋も一指のみであり、加えて、その強制も罰則による間接強制にとどまるものであって、精神的、肉体的に過度の苦痛を伴うものとまではいえず、方法としても、一般的に許容される限度を超えない相当なものであったと認められる。
右のような指紋押なつ制度を定めた外国人登録法一四条一項、一八条一項八号が憲法一三条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(前記最高裁昭和四四年一二月二四日大法廷判決、最高裁昭和二九年(あ)第二七七七号同三一年一二月二六日大法廷判決・刑集一〇巻一二号一七六九頁)の趣旨に徴し明らかであり、所論は理由がない。
二 弁護人松下宜且及び被告人本人の各上告趣意のうち、憲法一四条違反をいう点について
所論は、指紋押なつ制度を定めた外国人登録法の前記各条項は外国人を日本人と同一の取扱いをしない点で憲法一四条に違反すると主張する。しかしながら、在留外国人を対象とする指紋押なつ制度は、前記一のような目的、必要性、相当性が認められ、戸籍制度のない外国人については、日本人とは社会的事実関係上の差異があって、その取扱いの差異には合理的根拠があるので、外国人登録法の同条項が憲法一四条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和二六年(あ)第三九一一号同三〇年一二月一四日大法廷判決・刑集九巻一三号二七五六頁、最高裁昭和三七年(あ)第九二七号同三九年一一月一八日大法廷判決・刑集一八巻九号五七九頁)の趣旨に徴し明らかであり、所論は理由がない。
三 弁護人原田紀敏、同熊野勝之の各上告趣意及び被告人本人の上告趣意のうち、憲法一九条違反をいう点について
所論は、指紋押なつ制度を定めた外国人登録法の前記各条項は外国人の思想、良心の自由を害するもので憲法一九条に違反すると主張するが、指紋は指先の紋様でありそれ自体では思想、良心等個人の内心に関する情報となるものではないし、同制度の目的は在留外国人の公正な管理に資するため正確な人物特定をはかることにあるのであって、同制度が所論のいうような外国人の思想、良心の自由を害するものとは認められないから、所論は前提を欠く。
四 弁護人松下宜且、同原田紀敏、同熊野勝之の各上告趣意及び被告人本人の上告趣意のうち、その余の点は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反の主張であって、いずれも適法な上告理由に当たらない。
五 弁護人菅充行の上告趣意は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反の主張であって、適法な上告理由に当たらない。よって、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 可部恒雄 裁判官 園部逸夫 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)
一 弁護人松下宜且、同原田紀敏、同熊野勝之の各上告趣意及び被告人本人の上告趣意のうち、憲法一三条違反をいう点について
所論は、我が国に在留する外国人について指紋押なつ制度を定めた外国人登録法(昭和五七年法律第七五号による改正前のもの。以下特に記載がない限り同じ)一四条一項、一八条一項八号は、みだりに指紋を採られない権利を保障する憲法一三条に違反すると主張する。
本件は、アメリカ合衆国国籍を有し現にハワイに在住する被告人が、昭和五六年一一月九日、当時来日し居住していた神戸市灘区において新規の外国人登録の申請をした際、外国人登録原票、登録証明書及び指紋原紙二葉に指紋の押なつをしなかったため、外国人登録法の右条項に該当するとして起訴された事案である。
指紋は、指先の紋様であり、それ自体では個人の私生活や人格、思想、信条、良心等個人の内心に関する情報となるものではないが、性質上万人不同性、終生不変性をもつので、採取された指紋の利用方法次第では個人の私生活あるいはプライバシーが侵害される危険性がある。このような意味で、指紋の押なつ制度は、国民の私生活上の自由と密接な関連をもつものと考えられる。
憲法一三条は、国民の私生活上の自由が国家権力の行使に対して保護されるべきことを規定していると解されるので、個人の私生活上の自由の一つとして、何人もみだりに指紋の押なつを強制されない自由を有するものというべきであり、国家機関が正当な理由もなく指紋の押なつを強制することは、同条の趣旨に反して許されず、また、右の自由の保障は我が国に在留する外国人にも等しく及ぶと解される(最高裁昭和四〇年(あ)第一一八七号同四四年一二月二四日大法廷判決・刑集二三巻一二号一六二五頁、最高裁昭和五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日大法廷判決・民集三二巻七号一二二三頁参照)。
しかしながら、右の自由も、国家権力の行使に対して無制限に保護されるものではなく、公共の福祉のため必要がある場合には相当の制限を受けることは、憲法一三条に定められているところである。
そこで、外国人登録法が定める在留外国人についての指紋押なつ制度についてみると、同制度は、昭和二七年に外国人登録法(同年法律第一二五号)が立法された際に、同法一条の「本邦に在留する外国人の登録を実施することによって外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もって在留外国人の公正な管理に資する」という目的を達成するため、戸籍制度のない外国人の人物特定につき最も確実な制度として制定されたもので、その立法目的には十分な合理性があり、かつ、必要性も肯定できるものである。また、その具体的な制度内容については、立法後累次の改正があり、立法当初二年ごとの切替え時に必要とされていた押なつ義務が、その後三年ごと、五年ごとと緩和され、昭和六二年法律第一〇二号によって原則として最初の一回のみとされ、また、昭和三三年法律第三号によって在留期間一年未満の者の押なつ義務が免除されたほか、平成四年法律第六六号によって永住者(出入国管理及び難民認定法別表第二上欄の永住者の在留資格をもつ者)及び特別永住者(日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法に定める特別永住者)につき押なつ制度が廃止されるなど社会の状況変化に応じた改正が行われているが、本件当時の制度内容は、押なつ義務が三年に一度で、押なつ対象指紋も一指のみであり、加えて、その強制も罰則による間接強制にとどまるものであって、精神的、肉体的に過度の苦痛を伴うものとまではいえず、方法としても、一般的に許容される限度を超えない相当なものであったと認められる。
右のような指紋押なつ制度を定めた外国人登録法一四条一項、一八条一項八号が憲法一三条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(前記最高裁昭和四四年一二月二四日大法廷判決、最高裁昭和二九年(あ)第二七七七号同三一年一二月二六日大法廷判決・刑集一〇巻一二号一七六九頁)の趣旨に徴し明らかであり、所論は理由がない。
二 弁護人松下宜且及び被告人本人の各上告趣意のうち、憲法一四条違反をいう点について
所論は、指紋押なつ制度を定めた外国人登録法の前記各条項は外国人を日本人と同一の取扱いをしない点で憲法一四条に違反すると主張する。しかしながら、在留外国人を対象とする指紋押なつ制度は、前記一のような目的、必要性、相当性が認められ、戸籍制度のない外国人については、日本人とは社会的事実関係上の差異があって、その取扱いの差異には合理的根拠があるので、外国人登録法の同条項が憲法一四条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和二六年(あ)第三九一一号同三〇年一二月一四日大法廷判決・刑集九巻一三号二七五六頁、最高裁昭和三七年(あ)第九二七号同三九年一一月一八日大法廷判決・刑集一八巻九号五七九頁)の趣旨に徴し明らかであり、所論は理由がない。
三 弁護人原田紀敏、同熊野勝之の各上告趣意及び被告人本人の上告趣意のうち、憲法一九条違反をいう点について
所論は、指紋押なつ制度を定めた外国人登録法の前記各条項は外国人の思想、良心の自由を害するもので憲法一九条に違反すると主張するが、指紋は指先の紋様でありそれ自体では思想、良心等個人の内心に関する情報となるものではないし、同制度の目的は在留外国人の公正な管理に資するため正確な人物特定をはかることにあるのであって、同制度が所論のいうような外国人の思想、良心の自由を害するものとは認められないから、所論は前提を欠く。
四 弁護人松下宜且、同原田紀敏、同熊野勝之の各上告趣意及び被告人本人の上告趣意のうち、その余の点は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反の主張であって、いずれも適法な上告理由に当たらない。
五 弁護人菅充行の上告趣意は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反の主張であって、適法な上告理由に当たらない。よって、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 可部恒雄 裁判官 園部逸夫 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)